「これからの南城市を描く歴史講座」と題し、南城市教育委員会市史編さん係の方に南城市の歴史と直面している課題について講座をしてもらった。
琉球王国グスク及び世界遺産
①今帰仁城跡(なきじんじょうあと) ②座喜味城跡(ざきみじょうあと) ③勝連城跡(かつれんじょうあと) ④中城城跡(なかぐすくじょうあと) ⑤首里城跡(しゅりじょうあと) ⑥園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん) ⑦玉陵(たまうどぅん) ⑧識名園(しきなえん) ⑨斎場御嶽(せいふぁうたき)
南城市知念の斎場御嶽は2000年に世界遺産に登録されて以降観光客数が増加。世界遺産になったから価値ができたというわけではなく、もともと価値はあるものだがその価値をUNESCOが認めた。 ↓
文化遺産に関し、価値などを県民も把握していない。
UNESCOの設立の発端となったのは第二次世界大戦である。(教育や文化の振興を通じて、戦争の悲劇を繰り返さない」との理念により)
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人類全体の知的・精神的な財産を互いに守ることが平和構築にとって不可欠。 ・過去の戦争は互いの文化への無理解によって誘発された。
・戦争を防ぐためには、相互の文化を理解する必要がある
・人類全体の知的・精神的な連帯が永続的な平和構築に不可欠 ↓
世界遺産は1972年に「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」を満場一致で成立、1975年に発効。
大事なこと
自分の文化を知る事
相手の文化を知る事
自分の文化を大事にすること
相手の文化を大事にすること
歴史学者たちの仕事は、文化財や文化資源を守ることは世界平和につながるということを知らせること。
正しい情報を得るには・・・①南城市から刊行されている本
②南城市の公式HPや公式Youtubeチャンネルなど
③南城市教育委員会文化課や市史編さん係に質問
①先史時代
考古学を専門とする人たちの発掘調査の対象となる、文字で書かれた史料がない。 ・ガンガラーの谷(サキタリ洞遺跡)から3万5千年前の世界最古のつりばりの他生活の様 子が見える人骨、道具がつぎつぎと 見つかっている。これは今歴史学会においてはかな りホットな事柄。
・港川原人は有名であるが全身骨格が出てきたから価値がある。一番古いというわけではな い。
・見つかった人骨から現在の人達との繋がりが見つかっていく
②グスク時代 12世紀~14世紀
考古学を専門とする人達が発掘調査の対象とする。 文字で書かれた史料はない。
・南城市はグスクがたくさんある。
・1429年 琉球王国誕生
・北山城は今帰仁城跡、中山は浦添城跡
南山城は島添大里グスク、糸満の高嶺大里グスクのどちらかと言われているが決着がつい ていない
③第一尚氏 1406年~1469年
考古学を専門とする人達が発掘対象とする、同時代に書かれた史料はなかなかない、歴 史学を専門とする人達が後の時代に書かれた史料を調査する
・南部の按司であった佐敷の尚巴志が、与那原に来た外国船から鉄を買い取り、人々に分け 与え、農業が発展したため、多くの指示を得て頭角をあらわしてきた。 ⇒後に三山を統一し琉球国王となる。 ・中国の皇帝から冊封をうけて毎年朝貢を行っ ていた。
・この時代に書かれたことは後から書かれたことであり、伝説なのか本当なのかわからない ところがある。
琉球王国は祭政一致の国
・「男性の政治の世界」 ・「女性の精神的な世界」 とあるが、
細かくみれば男性の神役もいたし、女性が男性の世界にいたという記録もある。
・南城市は琉球の神話の舞台 ⇒南城市出身の人が王国となったからといわれる。
琉球の神話
・アマミキヨ 久高島 玉城城跡 ヤハラヅカサ
・稲や麦の発祥 伊敷浜 受水走水 ウファカル
薩摩侵攻 1609年
④近世琉球第二尚氏 1609年~1879年
考古学を専門とする人達が発掘対象とする、歴史学を専門とする人達が史料調査をす る、文学を専門とする人達が書籍を調査
・身分制度: 士族と百姓のみ
・士族は首里城に勤めていたため首里と那覇に住んでいた。家系図があり、名乗り頭があることからわかる。
県庁が設置されたあとは、首里城で働いていた人は県庁で働くこととなる。県庁に勤めるひとは本土から派遣された人が多かった。 県庁での勤務になれず、リストラされた人達はそれぞれ使用していた技術を活かしはじめた。(読み書きの学校、料理人など)
百姓は農民
・税金として納めるため稲作をしている。稲作と関係がある年中行事が多い。
・五月うまちー・6月うまちー:実った稲を神様にお供えして感謝する。
⑤近代 1879年~1945年
考古学を専門とする人たちが発掘調査を行う(戦跡など)、歴史学を専門とする人達が史料調査、文学を専門とする人達が書籍を研究する、民俗学を専門とする人達が聞き取り調査をする
・南城市は沖縄戦の被害が少なく、捕虜の収容所施設が多数あった記録がある。
・1945年に「知念市」が存在した。⇒捕虜の解放?とともに1年後に知念市はなくなる。
今後の課題:博物館などがなく蓄積できる場所がない、歴史資源、文化資源をどう生み出し、守り、次世代に伝えていくのか。
※今回で1年次の講座は全て終わりです!1年間お疲れ様でした!
2年次もがんばりましょう!

